日経平均株価 超長期月足チャート

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1949年5月~2010年8月 最終更新日:2010年8月31日

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チャート全体像

日経平均株価 超長期月足チャート 全体像

日経平均株価の概要

太平洋戦争の敗戦で閉鎖されていた証券取引所での株式取引が再開されたのは1949年5月で、現在の日経平均株価は1950年9月、東京証券取引所により算出が始まった。指数算出は1949年5月16日の取引開始日にさかのぼって行われた。当時の名称は東証平均株価といい、通称では東証ダウ平均と呼ばれることも多かった。

1969年、東証は東証1部全上場銘柄の時価総額に基づいて算出され、市場全体の実態をより正確に表せる指数である東証株価指数(TOPIX)の算出を開始。1970年には東証平均株価の算出を取りやめた。これ以後の算出は日本経済新聞社によって受け継がれ、NSB225種平均株価、次いで日経ダウ平均に名称が変更された。名称が現在の日経平均株価に変わったのは1985年。英語名称はNikkei225で、日本の株価指数を代表する存在として知られている。

長期の傾向

太平洋戦争の敗戦で国土が灰燼に帰した日本は戦後、奇跡の復興を遂げ一時は世界2位の経済規模を持つに至った。

日経平均株価は1949年の算出開始日から1989年末までの40年間で220倍に上昇した。平均では年率14.44%となる。1989年に史上最高値を付けて以降は下落に転じ、20年以上にわたり高値を更新できずにいる。

長期チャートと歴史上の出来事を重ねると、上昇相場が冷戦と重なり、ポスト冷戦時代に入り株価が低迷を始めたことがよくわかる。朝鮮戦争から株価の上昇が始まり、マルタ会談と同時に天井を付けたことは偶然ではない。

1990年以降の日本は目標を喪失し、迷走を続けている。政党は離合集散を繰り広げ、財政は悪化が続いた。少子高齢化が年金制度の歪みや世代間格差など、日本が抱える諸問題の根底に横たわっていたが、世代別人口で多数を占める中高年層への配慮が常に優先された。小泉政権では改革姿勢が示されたが、後継首相が相次いで短命に終わり、自民党は政権を失った。2009年に誕生した鳩山内閣は自民党政権の政策を否定し、内政、外交の方針転換に取り組んでいる。

日経平均は長期スパンでみると、1990年以降、上値、下値とも切り下がっている。ただし2000年に行われた大規模な構成銘柄入れ替えにより、指数としての連続性に問題があることに留意したい。

株式取引再開

1949年5月16日

敗戦に伴い停止していた株式取引を再開するため、1949年4月1日に東京証券取引所が設立される。一ヵ月半後の5月16日、取引再開。

日経平均の算出開始は翌1950年9月7日。算出は取引再開時までさかのぼって行われた。当時の名称は東証ダウ平均で、現在の日本経済新聞社ではなく東証によって算出が行われていた。

朝鮮戦争

1950年6月25日~1953年7月27日

1950年6月25日午前4時、北朝鮮軍が38度線を突破し韓国領へ侵入。朝鮮戦争が勃発する。

この戦争は朝鮮特需と呼ばれる好景気をもたらし、太平洋戦争で国土の荒廃した日本を復興へ向かわせることになった。

スターリン・ショック

1953年3月5日

朝鮮戦争がもたらした特需により日本株は大きく上昇していた。朝鮮戦争勃発直前の1950年6月24日に91円94銭だった日経平均は、1952年末には362円64銭まで買われ上昇率は294%に達していた。翌1953年1月は前月比93円79銭高の456円43銭。わずか1カ月で25.86%の上昇と、市場は熱狂に沸いていた。

2月11日、石井久は独眼流の筆名で株式新聞に、「桐一葉、落ちて天下の秋を知る」で始まる名高い相場の下落転換警告を発す。

3月5日、ヨシフ・スターリン死去。ソヴィエト連邦最高指導者の死は朝鮮戦争の終結を早め、戦争特需の剥落を予想させた。市場は翌日から暴落の渦の中に落ち込んでいく。

石井独眼流実戦録 表紙

自民党結成

1955年11月15日

1945年10月、鳩山一郎、河野一郎、三木武吉らにより日本自由党結党。鳩山が初代総裁となる。自由党は1946年の総選挙で第一党となるも鳩山は公職追放され、吉田茂が総裁に就任し首相となる。その後自由党は官僚出身者を中心とする吉田派が優勢となり、鳩山を支持する党人派との対立が激化。鳩山らは1954年11月、日本民主党を結成。12月、鳩山が首相就任。

1955年10月、左右に分裂していた日本社会党が再統一を果たす。社会主義勢力の伸長に危機感を持った保守陣営は、保守合同を画策。自由党と民主党は再び合同、自由民主党が結成され55年体制始まる。

スエズ動乱

1956年10月

60年安保闘争

1960年5月~7月

1960年5月20日、日米安全保障条約の承認を目指す与党・自民党は衆議院で強行採決に踏み切る。以降、日米安保条約に反発する社会党、全学連などの勢力が行う反対活動は激しさを増し、大規模なデモが連日繰り広げられた。6月10日、来日した米高官がデモ隊に包囲され海兵隊に救助される事件発生。6月15日には警官隊とデモ隊が衝突し死者を出す事態となった。6月19日、条約成立。6月23日、岸信介首相が辞意を表明。7月15日、内閣総辞職。

岸はデモ隊が国会議事堂へ押し寄せる中、「国会周辺は騒がしいが、銀座や後楽園球場はいつも通り」と発言。事実株式市場は、政情不安をよそに上昇を続けていた。退陣に当たっては「私のやったことは歴史が判断してくれる」と述べた。日米安保条約はその後、防衛を米国に委ねることで軍事費を抑え経済成長に集中することを可能とし、日本に平和と繁栄をもたらす土壌となった。

所得倍増計画

1960年12月27月

岸信介に代わり首相に就任した池田勇人は1961年からの10年間で国民所得を倍増させる目標を打ち出した。立案は下村治。輸出増加による外貨獲得、雇用拡大による生活水準の向上を目指した所得倍増計画は劇的な成果を上げ、日本は高度経済成長をひた走った。

ベルリンの壁建設開始

1961年8月13日

第二次世界大戦後、ベルリンは自由主義陣営と共産主義陣営に分断統治されていた。共産主義陣営の東ドイツからは、ベルリンを通じて毎年数万人以上が西ドイツへ流出しており、危機感を持った東ドイツは西ベルリンを封鎖する壁の建築を開始する。壁は東西冷戦の象徴として、28年後に取り壊されるその時まで人々の行き来を阻み続ける。

人々の向かう先が常に「東」から「西」であったことは、この時点ですでに、東西冷戦の勝者がどちらとなるかを予言していたと言える。

キューバ危機

1962年10月15日~28日

東海道新幹線開通

1964年10月1日

東京オリンピック

1964年10月10日~24日

ベトナム戦争

1965年2月7日

山一特融

1965年5月28日

大阪万博

1970年3月14日~9月13日

新日本製鉄発足

1970年3月31日

ニクソン・ショック

1971年8月15日

第二次世界大戦後の国際通貨体制は、自由貿易の振興を目的に固定相場制が採用された。金1オンスを35米ドルで固定する金本位制は、アメリカの圧倒的な経済力を背景に成立していた。

ベトナム戦争などにより1960年代後半からアメリカの財政は悪化、金本位制の維持は困難となった。1971年8月15日、ニクソン大統領はドルと金の交換停止を宣言し、ブレトンウッズ体制は崩壊。円は1ドル=360円から1ドル=308円へ大幅に切り上げられ、株式市場は翌日から大きくな下落に見舞われた。

第1次オイルショック

1973年10月

第2次オイルショック

1978年10月

プラザ合意

1985年9月22日

チェルノブイリ原発事故

1986年4月26日

ブラックマンデー

1987年10月17日

昭和天皇崩御

1988年1月7日

ベルリンの壁崩壊

1989年11月9日

マルタ会談

1989年12月3日、地中海に浮かぶ島国マルタでアメリカのブッシュ大統領とソビエトのゴルバチョフ書記長が会談、冷戦の終結を宣言した。1945年以来44年間続いた冷戦は終わり、世界はポスト冷戦時代に入った。このことは、太平洋戦争敗戦後に日本が置かれてきた環境が決定的に変質したことを意味していた。冷戦の終結により軍事費を削減し、経済政策に注力する国が増加した。それは取りも直さず日本の競争者が増えることを意味していた。

史上最高値3万8957円44銭

1989年12月29日、年内最終取引日に日経平均株価は史上最高値3万8957円44銭をつけた。バブル経済は頂点に達し、ジャパンマネーが世界中で猛威を振るった。この高値は、世界が冷戦体制に置かれる中、相対的に少ない軍事費で経済政策に集中するという戦後日本の成功モデルがたどりついた一つの頂点であり、同時に一つの時代の終わりであった。ベルリンの壁崩壊とマルタ会談の直後、冷戦の終結と同時に史上最高値の日が来たことは偶然ではない。

日本は新しい目標を求められていたが、人々は好景気に目をとらわれやがて来る厳しい現実に気づかずにいた。翌年から日本は長い迷走の時代に入っていくことになる。

阪神・淡路大震災

1995年1月17日

地下鉄サリン事件

1995年3月20日

アジア通貨危機

1997年7月

山一証券破綻

1997年11月24日

ロシア財政危機

1998年8月17日

LTCM破綻

1998年9月

前年のアジア通貨危機と前月のロシア財政危機により、ジョン・メリウェザー率いるヘッジファンド、ロングタームキャピタルマネジメント(LTCM)は破綻の危機に陥った。

ファンドを瀬戸際に追い込んだのは新興国債券の買いポジションで、1998年8月にロシアが短期国債のデフォルトを宣言したことで質への逃避が進み、LTCMは大きな損失を抱え込むことになった。LTCMにはブラックショールズモデルを生み出した2人のノーベル経済学賞受賞者、マイロン・ショールズとロバート・マートンも加わっており、ファンドを破綻に追いやったポジションは、そのブラックショールズモデルに基づき構築されたものだった。

9.11アメリカ同時多発テロ

2001年9月11日午前、アルカイダのテロリストにより、4機の旅客機がほぼ同時刻にハイジャックされた。午前8時46分、アメリカン航空11便はニューヨーク上空を低空で横切りワールドトレードセンターのツインタワー北棟に激突。17分後の午前9時3分にはユナイテッド航空175便がツインタワー南棟に激突した。午前9時38分にはペンタゴンにアメリカン航空77便が激突。ユナイテッド航空93便は、ハイジャックを察知した乗客がテロリストの陣取るコクピットに突撃。午前10時3分、建造物に激突せず墜落した。

事件が起きた11日から14日まで米国の株式取引は中止。取引が再開された週明け17日以降の株価は大幅安となった。通常取引が続けられた日本では、事件翌日の日経平均が682円85銭安の9610円10銭と急落し、1984年8月1日以来17年ぶりに1万円を割り込んだ。

エンロン破綻

2001年12月2日

郵政解散

2005年8月8日

1980年代から郵政民営化を持論とし、既得権益を持つ多くの政治家を敵に回しつつ地歩を固めてきた小泉純一郎は、3度目の自民党総裁選出馬で事前の予想を覆し大勝、2001年4月、首相に就任する。小泉は高い人気を背景に特殊法人の民営化を次々と実現、官から民の改革を押し進める。2005年、最大目標である郵政民営化法案の可決を目指すも8月8日、与党内から多くの反対票が投じられ参議院で否決。小泉は即日衆議院解散に踏み切った。

長年停滞の続いた日本が既得権益に切り込む改革姿勢を鮮明にしたことを、投資家は高く評価。翌日から日本株は急上昇を始めた。

ライブドア・ショック

2006年1月17日

2004年6月、プロ野球大阪近鉄バファローズの買収に名乗りを上げ、2005年2月にはニッポン放送株を大量取得したことで、ライブドア社長の堀江貴文は既成秩序への挑戦者として、時代の寵児となっていた。ライブドアは相次ぐ買収や大型株式分割などにより株式市場でも注目の的だった。

2006年1月16日、証券取引法違反容疑で東京地検がライブドアの強制捜査に入り、翌17日、株式市場は売り一色となった。17日の日経平均は462円08銭安と2.84%下落。ライブドア株が上場していたマザーズ市場では、マザーズ指数の下落率は11.76%と2ケタに達した。23日には堀江貴文代表取締役以下4人の経営陣が逮捕。ライブドア株は6日連続でストップ安となり、4月14日で上場廃止となった。

大きな上昇を続けていた新興市場株はこの日を境に長い下落に転じ、新興バブルははじけた。新興市場株はこの後3年にわたって売られ、マザーズ指数はライブドア・ショック前日の2006年1月16日に付けた高値2800.68ポイントから、2008年10月28日に安値255.95ポイントで底打ちするまで90.86%下落した。

リーマン・ショック

2008年9月15日

長らく上昇を続けていた米国の住宅価格は2005年ごろを境に下落へ転じていた。借入金による投資を膨らませていた米国の金融機関は破綻の危機に瀕し、2008年3月には米投資銀行の一角ベアー・スターンズが事実上破綻、JPモルガンに救済された。巨額の負債に苦しむリーマン・ブラザーズも救済先を探し多数の金融機関と交渉を行ったが合意に至らず、9月15日、連邦倒産法第11章の適用を申請、破綻した。負債総額約64兆円。世界的金融危機の本番が幕を開けた瞬間だった。

すでに金融危機を察知し暴落中だった世界の株式市場は翌日からさらに下落幅を広げた。日経平均はリーマン破綻直前の9月12日終値1万2214円76銭から10月28日の安値6994円90銭まで1ヶ月半で42.7%下落した。

アイスランド破綻

2008年10月

ドバイショック

2009年11月25日

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