キン肉マンをめぐる吉野家とゼンショーの明暗

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吉野家がずいぶん評判を落としている。キン肉マンの原作者ゆでたまごが、吉野家はキン肉マンのおかげで倒産から復活したのに礼を言われたことも金をもらったこともない、2002年に放映されたテレビ番組でも恥をかかされたとtwitter上で書いたのがきっかけのようだ。ブログなどのまとめ記事を読むと、吉野家を不義理や恩知らずと非難する声が散見される。 経緯はこういうことらしい。 ゆでたまごの原作担当の嶋田隆司氏は1960年10月28日、大阪市西淀川区に生まれる。1970年代後半のある日、高校生の嶋田氏はなか卯で牛丼を食べ感激する。1979年、キン肉マンが連載開始となりゆでたまごは上京する。ゆでたまごはキン肉マンの好物を牛丼とし、作中にキン肉マンが牛丼を食べる場面を頻繁に登場させる。初めはその牛丼店をなか卯として描いていたが、知名度の問題で吉野家をモデルに「吉野屋」として描くようになる。 1980年、吉野家は会社更生法の適用を申請し倒産する。 1983年4月、キン肉マンのアニメ放映が開始される。アニメ中でもキン肉マンが吉野家の牛丼を食べるシーンが放映される。嶋田氏によるとこの部分はこう。 Togetter – まとめ「ゆでたまご氏が激白する「キン肉マンが吉野家ではなくすき家を選んだワケ」」
アニメ始まるときに吉野家が東映さんにキン肉マンの食べてる牛丼を吉野家にしてくれないかと打診あり当時のプロデューサーがOKしたみたいで、その時は吉野家は倒産していて 是非ともこの話しをまとめたかった かくして毎週キン肉マンが美味しそうに食べる牛丼にこれまで 牛丼屋にこなかった子供たちがおしよせるようになり吉野家は倒産から再建に成功、ただし吉野家はキン肉マンの番組でいちどもスポンサードしたことない タダで宣伝再建したようなものです。
もともと原作中で吉野家として描いていたものを、アニメ化する際に「吉野家」にしてくれと吉野家から頼みに行ったというのがよくわからない。それまで4年間は「吉野屋」として描いていたものを「吉野家」にしてくれと吉野家が頼みに行ったということなんだろうか。アニメ化以前の4年間も吉野屋を登場させていたわけで、その間は吉野家の黙認を受けていたわけだ。アニメ化にあたって、東映側が吉野家に承諾をもらいに行った可能性もあるように思う。東映が口をつくんでいる部分もあるのではないか。 1983年、吉野家の更生計画が認可され、セゾングループ傘下で再建に乗り出す。キン肉マンのアニメは大ブームとなり、Wikipediaによると、アニメ放映前の原作単行本の売上は一巻当たり30-40万部だったが、放映中は250万部に達し、1986年10月の放映終了とともに30-40万部に戻ったそうだ。 1987年、キン肉マンの連載が終了し、吉野家は債務を完済し再建を果たす。嶋中氏によると、これは毎週キン肉マンが牛丼を美味しそうに食べることで子どもたちが押し寄せるようになったからだそうだ。しかし吉野家は一度も番組のスポンサーになったことはない、タダで宣伝し再建したようなものだとも嶋中氏は言う。 キン肉マンを見た子どもが吉野家に行ったという事実は確かにあるのだろう。しかし子どもが押し寄せたことで100億円を超える負債の完済につながったというのは言い過ぎだ。キン肉マンの主力視聴層は小学生が中心で、自分で吉野家に行くということは考えにくい。親にせがんで行ったのだろうが、再建がキン肉マンのおかげというのは言い過ぎだろう。それは、根本的には当時の吉野家の社員たちが倒産下で歯を食いしばって頑張ったからだ。 また、アニメと単行本売上の相関関係を見るに、吉野家に対する「恩」を主張できる者がいるとすれば、それは嶋中氏個人だけではなくアニメスタッフを含めた多くの人となるだろう。 吉野家がキン肉マンから受けた恩恵は、後の時代の方が強かったのではないだろうか。当時の子どもたちに牛丼を強く刷り込んだことで、1990年代から2000年代初めにかけて吉野家が躍進した時期、キン肉マンを見て育った層が吉野家に押し寄せていた部分は大きいのではないかと思う。 1987年当時の嶋中氏が吉野家に対して恨みを抱いていたかは分からない。怒りを募らせたのは2003年以降のようだ。「バブルのとき」というので1987年から1989年ごろなのだろう、ゆでたまごは吉野家から、店に持っていけば永久にただで牛丼が食べられるという丼セットを贈られる。この丼を嶋中氏は実際には使わずに過ごす。2003年10月、フジテレビのトリビアの泉でこの丼を持って吉野家に行くと、本当に牛丼を無料で食べられるかどうか? という番組が企画される。番組中で嶋中氏は吉野家に丼を持って訪れるが、牛丼を食べさせてもらえず店を出る。 2008年、肉(29)にちなみ、キン肉マン誕生29周年キャンペーンをすき家やなか卯を展開するゼンショーと行う。これまでキン肉マンの牛丼は吉野家と思っていた人たちから、ゆでたまごに対し金に転んだとの非難が投げかけられる。そもそもこのキャンペーンも、集英社から吉野家に一緒にやらないかと持ちかけられたものだという。嶋中氏によると、「恩返しのチャンスです」と集英社側は吉野家に言ったそうだ。吉野家はこの話に乗らず、代わりにゼンショーが手を上げた。 2010年4月、twitter上で、嶋中氏は吉野家に対する恨みつらみを吐き出す。 * * * 吉野家の対応は拙いの一語だが、ゆでたまご側に乗って正義の立場から吉野家を叩いている人たちにも違和感を覚える。 ゼンショーは吉野家が評判を落とす一方で、大きく評価を上げている。 ゆでたまごが高校生のころ食べて感激した牛丼はなか卯のものだ。なか卯は1969年に大阪で牛丼屋を始めた。ゼンショーがすき家の1号店を出店したのは1982年横浜。この2社はもとは別の会社だ。ゼンショーがなか卯を傘下に納めたのは2005年のこと。2月に当時なか卯の親会社だった双日からなか卯株33%を買い取り、8月にはTOB(株式公開買い付け)でなか卯株の60.05%を保有するに至った。ゼンショーは、買収によりキン肉マンに登場する牛丼屋は本来我々だったのだと主張する権利も手にいれたわけだ。恩や裏切りといった人情の機微で語られている話ではあるが、企業側の動きは買収による拡大が絡んだドライなものだ。 買収戦略においても、吉野家とゼンショーの明暗はくっきりと分かれている。2007年に吉野家が買収したステーキチェーンのどんが、2010年4月13日、裏口上場と認定され上場廃止となることが決定した。1997年に再建支援に乗り出した子会社京樽は営業赤字だ。 * * * また、ついこの間まで元社員を告訴したことで不評を買っていたゼンショーが、あっという間に立ち位置を善の側に移してしまうネット社会の移り気の早さにも驚かされる。ゆでたまごと吉野家の一件を痛いニュースがまとめていた。 ゆでたまご、吉野家との確執をtwitterで叫ぶ 「吉野家を叩かないで!」 すき家・なか卯有するゼンショーがゆでたまご問題にコメント この2つは2010年4月13日、14日に相次いで公開されたもの。痛いニュースはちょうど1年前の2009年4月15日にはこんなエントリを公開していた。 すき家ゼンショー、残業代不払いを告発した店員を逆に告訴 「飯5杯盗んだ」 * * * 下の株価チャートは吉野家とゼンショーに松屋フーズを交えた牛丼3社の2009年1月5日から2010年4月16日までの株価推移。ゼンショーの一人勝ち、吉野家の一人負けがくっきりと表れている。

吉野家、ゼンショー、松屋フーズの牛丼3社の2009年1月5日から2010年4月16日までの株価比較

吉野家は一度倒産し、どん底から立ち直った企業だ。4月14日、吉野家のバイトから出発し、1991年に社長に就任して吉野家の躍進を支えた安部修仁氏が、事業会社の吉野家社長に就任すると発表があった。安部氏は2007年の持ち株会社化以降、吉野家ホールディングスの社長を務めていたが、吉野家の現場に復帰し立て直しを図るということらしい。吉野家の復活を期待したい。
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