クルマが憧れだった時代は戻ってこない
スポンサーリンク1990年代、クルマは憧れではなくなった
1990年代前半までは、自動車に乗る喜びや所有することへの憧れはまだ残っていたと思う。1990年代の後半に、それは姿を消した。インターネットの登場でクルマは一般大衆の憧れの座から滑り落ちたのだ。 ウェブをたどっていけば、あらゆるところにアクセスすることができる。世界中の人と会うことができ、世界中のあらゆるものを買うことができる。クルマに乗ったところで、どこに行けるというのだろう。せいぜいジャスコくらいではないか。クルマでは行けないところ
かつてはクルマに乗ることでのみ手に入る世界があった。徒歩が中心の狭い世界から解き放たれ、はるか遠くの世界に行くための、個人が持つことのできる最良の手段がクルマだった。今はそれが、インターネットにつながった端末になっている。身の回りの狭い生活環境から、開かれた広大な世界にアクセスする最良の手段はスマートフォンやPCだ。1995年を境に世界は変わったのだ。 かつての若者は給料の大半をつぎ込んででもクルマを持とうとした。今は大きく金を投じるのはインターネットに関連した何かに対してだ。とはいえ、道具としてのクルマが死んだわけではない。いまクルマに対してまったく興味を持っていない若者層も、必要になればクルマを買うだろう。ただしそれは、憧れの対象としてではなく単なる道具としてだ。 トヨタがソーシャルメディアをキャンペーンに使うのは手段として正しい。しかし目的は達しないだろう。キャンペーンで興味が向かうのは、最終的にはインターネットそのものになるからだ。
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