[駄文]タグ・分類・ラベリング

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たくさんのものを手に入れると、整理をどうするかが問題になる。流れこむ膨大な情報を整理し、いつでも取り出し可能にしておきたいという欲求が当然生まれる。多くのウェブサービスはタグという手段でその方法を提供する。しかしタグを付けるのは自分自身だ。長年、ソーシャルブックマークサービスで大量のページに多くのタグを付けてきたが、タグのつけ方が一貫していたわけではない。個人的なタグ分類の基準は少しづつ変わってきたし、全ての情報を整理することは今も出来ていない。 グーグルに全てを委ねるなら、自分の手で情報を整理することを放棄することも可能だ。ウェブ上に存在する情報であれば、グーグル検索を通じてたいていはたどり着く。特殊な情報で、グーグルですら見つからないなら、よほど検索の仕方が悪いかそもそもウェブ上には存在しない情報なのだろう。 もっとも、何もかもをグーグルに委ねるわけにもいかない。自ら手間暇をかけてのみ理解できることは多い。漫然と本を読むより、付箋を挟みながら読むほうがよく理解できるのと同じだ。本に付箋を挟む行為に当たるのが、ウェブにおいてはソーシャルブックマークやツイッター、エバーノート、タンブラーなどのサービスを使うことなのだろう。ウェブページを読んで、個人的に重要だと思った箇所はデリシャスに引き写すようにしている。本にマーキングするように。重要なページに付箋を挟むように。 そうしてサイトをブックマークするときにタグで内容を分類するのだが、これが実に奥が深い。今日悩んだのは、科学とも教育とも分類できる事柄にどういうタグをつけるかだった。もちろん、タグの使い方としては、関連するものは全て付けるのが正しい。 とはいえ、あまりにも安易にタグをつけすぎると、そのタグに属すページが増えすぎ、今度は自分がつけたそのタグの中から目的のページを探すのが面倒になる。ある程度の絞り込みはしておいた方が良いのではないか、というのが今現在の考えだ。 今よくやるのは大分類、中分類、小分類に当たるタグを両方つけておくことだ。例えば新聞に関することなら「メディア」というタグを付け、さらに「新聞」タグと、それが特定の新聞紙に言及していることならその新聞名をタグに付ける。 もっとも必要な情報を探すときに溜め込んだソーシャルブックマークから探すことはあまりなく、グーグルで検索して出てきた手近なページですましてしまうことがほとんどなのだけど。 検索の時代は終わったという指摘を近頃ちらほらと見かけるのだけど本当だろうか。とてもそうは思えないのだけど。
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