谷亮子参院選出馬とナンシー関1995年の予言
スポンサーリンク元五輪メダリスト。世界一ツブシが利く肩書き何がツブシが利くってオリンピックほどツブシが利くもんはないだろう。ツブシを利かせているという後ろめたさも無い。オリンピックは世界でも指折りの正義だから、正当な権利なのである。オリンピックもまた、現在のテレビタレントとは基準がズレているのに。いくらオリンピック出たいからって7回も8回も無理矢理出るのはオリンピック的には美談でも、テレビ(というかバラエティ的世界観)的には「空気が読めない やつ」でしかない。 10年後、ヤワラちゃんは選挙に出ていると思う。 ………95年10月 ナンシー関 著 「何もそこまで」 より本はこれか。 しかもこの予言、1995年ということは、谷亮子はまだオリンピックに一度出ただけの段階だ。 谷亮子は1992年、バルセロナオリンピックで銀、1996年アトランタオリンピックでまたしても銀。2000年のシドニーオリンピックは大会前のセリフが「最高でも金、最低でも金」で念願の金メダル。優勝後のセリフが「ようやく初恋の人に出会えた」。2003年にプロ野球オリックス・バファローズの谷佳知選手と結婚。田村亮子から谷亮子に苗字が変わり、2004年アテネオリンピックを連覇し「田村でも金、谷でも金」。2005年長男出産。2008年北京五輪は「田村でも金、谷でも金、ママでも金」と言って挑むも銅。で、2010年参院選出馬で「田村でも金、谷でも金、ママでも金、政治家でも金」と揶揄されるようになると。 ナンシー関はそういう諸々すべてを見るはるか前の1995年段階で政界挑戦を予想していたわけで、安国寺恵瓊並みの千里眼ですな。
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