九州、四国、東海地方の南は太平洋ではなくフィリピン海

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Googleマップで浜名湖付近を見ていたら海が「フィリピン海」と表示されていた。 浜名湖南部 Googleマップ2010年7月30日 なんじゃこれは、と思って調べてみたところ、九州から四国、東海地方にかけての私たちが太平洋と呼んでいる海は、フィリピン海と呼ぶのが正しいらしい。 まずWikipediaからフィリピン海について。

日本、台湾、フィリピン、ミクロネシアに囲まれた海で、太平洋の附属海である。1952年(昭和27年)に(狭義の)太平洋から区域名が分離されたものである。ただし、日本ではこの名称が用いられることはなく、太平洋の一部として知られている。

国際水路機関 (IHO) が定めた境界では、フィリピン海は、伊豆半島・伊豆諸島・小笠原諸島・火山列島・マリアナ諸島・ヤップ島・パラオ諸島で北太平洋と、淡路島・四国で瀬戸内海と、九州・南西諸島で東シナ海と、台湾・ルソン島で南シナ海と、フィリピン諸島南部・ハルマヘラ島で東インド多島海のスル海・セレベス海・モルッカ海と分けられている。日本海とは日本列島西部で隔てられている。西日本(伊豆半島より西)の南方の海は、太平洋ではなくフィリピン海ということになる。

要するに伊豆半島から四国、九州にかけての地域で面する海はフィリピン海であると。国際的には太平洋ではなく、フィリピン海と呼ばねばならないわけです。これは知らなかった。まさか坂本龍馬の見た桂浜の荒波がフィリピン海のものだったなんて。

日本人がフィリピン海を太平洋と呼ぶに至る経緯

ではなぜ日本では本来フィリピン海と呼ぶべき海域を太平洋と呼んでいるのか。 まず、海域の名称は国際水路機関で決定される。数年前問題になった、「日本海」の名称を「東海」に変えろという韓国の要求はこの国際水路機関で行われたわけです。つまり国際水路機関で決められた海の名前が国際的に使われる名称になる。 以下「やしの実大学」というサイトで詳しく説明されていたので、これを元に簡単にまとめてみます。 まず、国際水路機関は1970年設立で、それ以前は国際水路局と言った。この国際水路局を日本は太平洋戦争を挟んだ1940年から1950年まで脱退していた。で、1949年に国際水路局で、太平洋の一部をフィリピン海に変更しようとの提案があった。日本はこの時、国際水路局を脱退中でしたが、この提案は日本にも届けられ、意見があれば提出してねと言われた。で、日本はフィリピン海への変更という案にどう返答したか。 太平洋からフィリピン海に名前が変わると、地図や教科書を刷り直さなければならない。お金がかかるから太平洋のままにしておいてよと回答した。なかなかすごい理由で、戦後間なしのまだ焼け跡が広がる時代の日本の貧乏さが感じられます。現在ならむしろ、こういう変更を理由に代替需要が生まれるということで歓迎されそうですが当時はそうはいかなかった。 もう一つ日本が当時出した案は、どうしても太平洋から名前を変更するなら北緯20度から北を小笠原海にしてその南側をフィリピン海にしろ、2つに分割するのが無理ならフィリピン海ではなくマリアナ海にしろというものでした。が、これらの提案はすべて却下され、伊豆半島から伊豆諸島、小笠原諸島を経てフィリピン北部に達するラインの西側はフィリピン海と呼ぶことになった。1953年のことです。 日本はどうしたか。無視することにしたそうです。その結論にもびっくりですが、この時の方針が現在に至るも守られ続け、日本で出版される地図はすべてフィリピン海を太平洋と記載し、学校ではフィリピン海を無視し太平洋と呼ぶ教育が続いてきたわけです。すげーな。

グーグル以前以後

そしてそういう状態が50年以上続いてきたわけですが、旧体制の破壊者グーグル先生はそんな空気を読んだりしない。「は? 太平洋? それフィリピン海だから。ほらよフィリピン海にしておいたから」ということなわけですね。 現在グーグルが世界の情報のあり方を劇的に変えているわけですが、Googleマップのフィリピン海という表記にも、なんというか日本国内でしか通用しない取り決めを圧倒的な力でねじ伏せる米国IT企業という文脈が見えてくるわけです。携帯電話や出版がアップルやアマゾン、グーグルに侵食されるのと同じ構図が浮かんだって話ですね。フィリピン海ってどういうこっちゃという疑問から調べ始め、私が持った感想はそういうものでした。
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